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  • 岩渕功一

東京2020と「多様性」

 東京五輪・パラリンピックはテーマに「多様性と調和」を掲げたが、大会関係者が女性や障害者を蔑視する発言で辞任するなど、現実との乖離が次々と露呈した。


 五輪の開会式では、性的少数者の社会運動を象徴するレインボーカラーのドレスを着た女性歌手の国歌斉唱や、親が海外にルーツを持つ選手の起用があった。しかし社会における差別や不平等の解消に向けて、それ以上の取り組みや発信がされたのだろうか。それなしでは選別されたマイノリティーを登用し多様性を包含していると見せながら社会変革に向けた行動を伴わない、「トークニズム」の域を超えていない。


 差別禁止を盛り込まないLGBT理解増進法案すら国会提出が6月に見送られた。スリランカ人女性が出入国在留管理局による非人道的な扱いの中で死亡し、当局はその実態を明らかにしようとしていない。こうした現実の中で「多様性と調和」というスローガンは空虚に響く。


 「多様性/ダイバーシティ」は今や、企業、政府、自治体、教育機関などで盛んに謳われている。背景にあるのは、それが創造性とイノベーションをもたらし、企業や社会を豊かにするという発想だ。しかし有益性に着目した「多様性」はマジョリティーの/による/のためのものでありがちだ。

 マジョリティーにとって受け入れやすい食や音楽などの「エスニック」文化が社会を豊かにするスパイスとしてポジティブに受け入れられたり、経済的に「役に立つ」マイノリティの包摂が奨励される。しかし、多様性の肯定的な語りは、構造化された差別や不平等の解消に向けた社会変革の行動を促すどころかむしろ阻んでしまいがちだ。


 パラリンピックでは、開会式の翼が一つしかない少女が頑張って空を飛ぶ物語や閉会式の「すべての違いが輝く街」の演出に共感し、勇気づけられた人は多くいただろう。しかし、困難を努力で克服したという個人の物語では、障害を個人ではなく社会の側の問題ととらえる視点が抜け落ちやすいことも指摘されている。頑張らなくても輝けなくても、誰もが有意義な人生を送れるように社会のあり方を変革していくことが大切だ。


 東京2020は、日本社会はすでに多様性に溢れている、しかし多様性を尊重・包含してはいないことをあらためて示した。これを契機に、日本でも差別が日常的に存在しており、それがいかに深刻な問題かを社会全体で共有する必要がある。それには、誰もが関わる我が事として個人の意識を変えていくことが重要だが、政治行動による変革が置き去りにされてはならない。今こそ、国政レベルでさまざまな差異を持って生きる人たちを可視化し、その人たちが被っている差別・不平等の解消を日本社会の喫緊の問題として取り組むことがなされていない事実を真剣に受けとめるべきだ。そして、差別の禁止・不平等の解消と人権保障を目指した包括的な政策と法整備の確立が緊急に求められる。


 差別や不平等が解消され、誰もが生きやすいように社会のあり方が変革されて初めて、社会を豊かにする多様性のあり方や可能性が見えてくるだろう。差異・違いをめぐる否定的な側面の解消を通して多様性の肯定的な側面が実現できる。政治を動かし社会の変革をもたらすのは私たち一人一人の意思と実践しかない。


(毎日新聞論点 2021 9/17より)

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